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東京地方裁判所 平成10年(合わ)5号 判決

主文

被告人を懲役七年に処する。

未決勾留日数中五〇〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、分離前相被告人畠山昭一、同梁川博史こと朴泰植、同安井健司こと〓幹彦、同木本陸郎、同中村隆行、同和田康治、同畠山昭則、同髙橋亨及び同里村誠と共謀の上、平成九年一二月二六日、法定の除外事由がないのに、〈1〉東京都港区六本木一丁目七番二四号麻布パインクレスト前路上に停車中の普通乗用自動車内において、自動装填式けん銃二丁(平成一〇年押第一七二〇号の四、六)及び回転弾倉式けん銃一丁(同号の二)をこれらに適合する実包二一発(同号の三、五、七はうち一発を除いて鑑定試射済み)と共に携帯して所持し、〈2〉同区赤坂一丁目一四番一四号興和ビルディングナンバー三五植え込み付近路上において、自動装填式けん銃一丁(同号の八)をこれに適合する実包六発(同号の九は鑑定試射済み)と共に携帯して所持し、〈3〉同区虎ノ門四丁目一番二九号先路上において、自動装填式けん銃一丁(同号の一〇)をこれに適合する実包六発(同号の一ーは鑑定試射済み)と共に携帯して所持するとともに、けん銃実包一発(同号の一二は鑑定試射済み)を所持したものである。

(証拠の標目)省略

(弁護人の主張に対する判断)

第一  共謀の不存在の主張について

弁護人らは、分離前相被告人畠山昭一、同安井健司こと〓幹彦、同木本陸郎、同中村隆行、同和田康治、同畠山昭則、同髙橋亨及び同里村誠の八名が、順次共謀の形で、本件けん銃及び実包(以下、単に「本件けん銃等」という。)を携帯所持したこと自体は争わないが、被告人は、右八名による本件けん銃等の携帯所持の事実を全く認識、認容しておらず、右八名とも、また、分離前相被告人梁川博史こと朴泰植とも、本件犯行に関し、明示的にも黙示的にも共謀したことはないから、無罪である旨主張する。すなわち、被告人は右朴泰植に対して「上京する」旨を告げたのみであって、本件けん銃等の携帯所持に関し、何らの指示をしたこともなく、かえって、けん銃を携帯所持して被告人を警護することのないよう常々周りの者に注意していたくらいであるから、被告人と分離前相被告人らとの間に本件けん銃等の所持についての共謀は存在しない旨主張し、被告人もこれに沿う供述をするので、検討する(なお、以下、分離前相被告人朴泰植は「朴」、同畠山昭一は「昭一」、同畠山昭則は「昭則」、同安井健司こと〓幹彦は「〓」、同和田康治は「和田」、同木本陸郎は「木本」、同中村隆行は「中村」、同里村誠は「里村」、同髙橋亨は「髙橋」と略称する。)。

一  認定事実

関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

1 被告人及び分離前相被告人九名の所属組織、地位、役割等について

被告人は、若いころから暴力団組織と関係を持ち、昭和四四、五年ころには、渡邉芳則を会長、被告人を副会長として、三代目山口組初代山健組健竜会を発足させ、昭和五七年ころ、渡邉が山健組組長となると、被告人は健竜会会長となり、平成元年ころ、渡邉が五代目山口組組長となるに従い、被告人は三代目山健組組長となり、本件当時は、三代目山健組組長であるとともに五代目山口組若頭補佐の地位にあり、配下組員数は総勢約三一〇〇余名である。朴は、山健組兼誠会会長で被告人の秘書見習いをしており、当番秘書と呼ばれる二日交替制の他の組長秘書とは異なり、被告人が用事で外出する際には常に一緒に行動しており、被告人のスケジュール管理などをしていた。昭一は、秋田市内で活動している山健組兼昭会の会長をしているが、山健組の東北ブロック長として関東地域をも取り仕切っており、被告人が上京する際の東京側受け入れ責任者であった。昭則は、姉ヶ崎連合会佐藤二代目畠山組組長であるが、昭一の実兄であって、山健組兼昭会相談役も兼ねており、昭一が普段は秋田市で活動していることから、東京に事務所を持つ昭則が被告人の上京時の接待の具体的段取りを付けていた。〓は畠山組組員であり、これまでに一〇回ほど被告人の上京時の接待に参加して被告人専属のボディガードが乗る車の運転などをしていた。和田は、山健組二代目伊藤会から行儀見習いとして山健組本部に来ている者であり、平成八年二月ころから、被告人の専属ボディガードをしており、平成九年一〇月ころからは、その責任者的立場に立っていた。木本は、山健組鷲坂組組員で、平成六年一〇月ころから、山健組本部で行儀見習いとして、被告人の専属ボディガードをしていた。中村は、山健組矢倉会組員で、平成九年一二月中旬ころから、被告人の専属ボディガードをしていた。里村は、山健組武道会組員で、平成二年ころから五年ころにかけて山健組本部に詰めていたことがあり、本件上京時は被告人の専属ボディガードとして行動していた。髙橋は、平成九年五月ころ、山健組兼昭会奥山組組員となり、これまでにも被告人の上京時に接待の手伝いをしたことがあった。

山健組には、傘下の各組の中から選ばれて、山健組組長の専属ボディガードとなっている者が数名存在するが、それらの者はアメリカの警察の特殊部隊の名称に由来する「スワット」、あるいは、「付き人」とか、「ボディガード」という名称で呼ばれており、実包の装填されたけん銃を携帯所持して組長と行動をともにし、敵の襲撃に対抗して専ら組長の警護のみに専従している者であって、本件当時は、和田、木本、中村らが山健組本部のスワットであった。スワットの人選やスワットへの指示、命令は、組長ないし組長秘書、組長秘書見習いのみがすることができたが、本件当時は組長秘書見習いの朴が主に指示、命令をして、被告人の身辺警護にも当たっていた。

2 本件までの被告人の上京時の行動状況等について

警視庁生活安全部銃器対策課においては、平成九年一月下旬ころ(以下、年の記載のないものは平成九年を指す。)、山健組組長の被告人が、ボディガードを引き連れて時々上京しているが、その際、ボディガードがけん銃を携帯所持して、被告人を警護している旨の情報を得た。銃器対策課においては、被告人の上京の際の行動視察を開始し、本件上京までに、九回の上京を把握していた。

被告人の上京に際しての具体的な手はずは、朴を含めた組長秘書と山健組兼昭会側で調えていた。山健組兼昭会にとっては、被告人の上京時の身辺警護や雑用は、組としての任務であることから、同会関係者は「公用」と呼んでおり、「公用」の責任者は山健組兼昭会会長の昭一であった。被告人の上京の際は、山健組本部からスワット三人位が上京して来るが、昭一の方でも、山健組兼昭会や畠山組の組員らを一〇名位は動員して、被告人の身辺警護や雑用などをさせ、うち二、三人にスワットの役割を与えて配備していた。そして、スワットはいつもけん銃を用意して被告人を警護していた。

被告人が上京したとき、山健組兼昭会側は羽田空港まで出迎えに行き、都内での移動は、ほとんどの場合、五台くらいの車両に分乗して車列を組んで一団となって行っていた。一台目の車両は、被告人の移動先の遊興店舗などに二、三〇分ほど早く行き、駐車場所を確保したり、不審者がいないか辺りを警戒したり、警察が検問していないかを確かめたりする者が乗る車両であり、通常は山健組兼昭会側のスワットがその役目で乗っており、「先乗り車」などと呼ばれていた。二台目の車両は、道案内をする車両で「先導車」と呼ばれており、常に山健組兼昭会会長の昭一が乗っていた。三台目の車両は、被告人の乗る車両であり、その直ぐ後ろを走行する四台目の車両は、大阪から上京して来た山健組本部のスワットが乗る車両であり、五台目以降の車両は、雑用係の乗る車両であった。先導車、被告人乗車の車、スワット乗車の車の三台は、先導車とスワット乗車の車で被告人乗車の車を前後に挟み、三台が連続して離れないようにしており、他の車両が被告人乗車の車に近づかないように走行していた。また、一番後ろの車は中央線をまたいで他の車両が被告人乗車の車に横から近づけないようにしたりしていた。被告人らの一行は、間に別の車両が入ると追抜くなどして調整したり、一台でも遅れた場合は車列を整えてから再出発するなどしたりして、常に一体となって車列を組んで移動していた。先乗り車のスワットが不審な者を発見した場合には、スワット乗車の車のスワットと携帯電話で連絡を取り合うことになっていた。また、被告人が歩いて移動する際には、被告人を真ん中にして、被告人に近いところを組長秘書らが警護し、三、四メートル離れたところをスワットが警護して一塊りになって行動しており、被告人が遊興店舗の中に入ったときには、組長秘書らは店内に入り、スワットは店内に入らず、外の出入口付近に立って、警護していた。

3 本件けん銃等の共同携帯所持についての共謀の経緯等について

被告人は、一二月二二、三日ころ、朴に対し、二五日ころに上京することを伝えた。朴は、上京の段取りを調えるために、昭一に電話をして、被告人が二五日に上京するかもわからないが、上京するなら五時発の飛行機で六時ころ着くと思うので、食事は「胡蝶」に予約をしてもらいたいなどと連絡をした。朴は、詳しいことは言わなくても、これまで一〇回以上、被告人は東京に遊びに行っており、昭一が受入側の責任者であるので、当然これまでと同様の準備をしてくれるものと思っていた。朴は、また、スワットの和田に対しても、二五日に親分が東京に行くかもしれないと伝え、他のスワットとともに上京するように指示した。今回の上京については、和田や木本からスワットは四人で行った方がよいとの進言もあって、結局、朴はこれを了承してスワットは四人で行くことになった。一二月二五日、被告人が上京することが本決まりとなり、朴は、昭一や和田に、その旨を伝えた。

昭一は、朴からの連絡を受けて、それまで被告人が上京した折りの接待を一〇回位しており、いずれの時も山健組兼昭会や畠山組の組員を動員して準備し、被告人の身辺警護に万全を期しており、具体的には実兄の畠山組組長の昭則に何度も接待の段取りをつけてもらっていたので、一二月二四日、昭則に電話をして、翌日の二五日に上京する被告人のために「車とかの用意を頼む。」と言って、被告人の出迎えと移動に使用する車や身辺警護のための人の手配などを依頼した。昭一の依頼には、被告人の警護を万全にしてくれとの意味があり、被告人の警護を万全にするためにはどうしてもけん銃が必要であって、直接「けん銃を用意して親分をガードしてくれ。」などと言葉で言わなくても、昭一は昭則がけん銃を用意して被告人を警護してくれるものと思っていた。昭則も昭一の依頼を受けて、被告人の身辺警護や雑用に必要な車五台位と畠山組組員の〓、山健組兼昭会奥山組組員の髙橋を含め八名ほどの人の手配をするとともに、被告人がけん銃で襲われた場合、こちらもけん銃がなければ被告人を守りきれないから、けん銃を用意して被告人を警護することは弟を助けることであり、また、兼昭会の相談役として当然のことと思っていた。昼過ぎころ、昭則は〓に対し被告人が上京するので、山健組本部から来るスワットの乗る車の運転手をするように指示し、山健組兼昭会側のスワットは髙橋と徳武伸二にさせることにした。そして、用意する五台の車について、先乗り車は、栗山勝比虎の運転で山健組兼昭会側のスワットである髙橋と徳武伸二が乗車し、先導車は、森浩二の運転で昭一と被告人の友人で的屋丁字屋会副会長の菊地武雄が乗車し、被告人が乗車する車は、浜田こと金孟珍の運転で被告人と朴、組長秘書の疋田春男が乗車し、スワットの乗る車は、〓の運転で山健組本部のスワットらが乗車し、雑用係の乗る車は板谷暉男が運転するなどの内容の乗車区分を決めた。

一方、山健組本部のスワットの和田は、朴から他のスワットに連絡して上京させるように指示され、しかも、従来三名であったところを四名のスワットで上京することになったので、スワットである木本、中村のほか、里村も加えてスワットとしての打ち合わせをし、親分が東京へ出るが、東京での車の手配やけん銃の準備は東京でしてもらうので、防弾楯だけを持って行けばよく、東京からも護衛の者が出る旨の話を伝えた。

和田は山健組兼昭会の金孟珍に電話をして、けん銃を用意してくれるように依頼し、同人もこれを昭則に伝えると、昭則もこれを了承し、一二月二五日の本件当日の午前中、組事務所の押入の天袋に隠しておいたけん銃五丁を取り出しておいた昭則は、昼過ぎに、〓と一緒にけん銃五丁にそれぞれ実包を装填し、〓に対し、二丁は山健組兼昭会側のスワットの髙橋に渡し、三丁は〓が運転する山健組本部のスワットが乗る車に置いておくように指示した。〓は、午後二時過ぎころ、畠山組事務所でスワットの髙橋にけん銃二丁の入ったバッグを渡しながら、「道具だから車に積んでおけ」と言い、髙橋もけん銃であることを知ってこれを了承した。〓は、午後四時五〇分ころ、東京駅に、新幹線で上京してきた山健組本部のスワットである木本、中村、里村の三名を出迎えたが、同人らは防弾楯を持参してきていた。〓は、スワットの三名をスワット乗車の車に乗せて、羽田空港に向かったが、その車内で、けん銃三丁が運転席の下に用意してあることを伝え、木本ら三名のスワットもこれを了知した。羽田空港に到着してから、木本は、被告人の乗車する予定の車の後部中央の肘掛けの下に大阪から持参してきた防弾盾を置いた。午後六時ころ、飛行機で来た被告人、朴、疋田春男、スワットの和田ら四名が羽田空港に着き、和田はスワット乗車の車に乗車して、被告人乗車の車の直ぐ後ろを走行したが、その車内で、中村は、木本、和田にけん銃を手渡した。その後、スワット乗車の車での五人乗りは窮屈であったので、里村が先乗り車に乗り換えた。先乗り車には、山健組兼昭会側のスワットの髙橋と徳武伸二が乗車しており、里村は乗車すると、髙橋に対し、けん銃はどこにあるかと聞き、髙橋がけん銃の入ったセカンドバッグを手渡すと、中からけん銃を取り出して身につけ、けん銃一丁が残っているセカンドバッグを髙橋に戻した。

4 本件上京時の被告人の行動状況等について

本件当日、被告人は、朴及び疋田春男、スワットの和田とともに、伊丹空港から飛行機に搭乗し、午後六時ころ羽田空港に到着し、昭一、昭則、髙橋などの山健組兼昭会関係者及び木本、中村、里村らのスワットの出迎えを受けた。そして、遊興先の店舗に向かうため、予め決めておいた乗車区分のとおり、先乗り車は、栗山勝比虎の運転で兼昭会側のスワットである髙橋と徳武伸二が乗車し、先導車は、森浩二の運転で昭一と菊地武雄が乗車し、被告人が乗車する車は、金孟珍の運転で被告人と朴と疋田春男が乗車し、スワットが乗車する車は、〓の運転で山健組本部のスワットの和田、木本、中村、里村が乗車し、雑用係の乗車する車のうち一台は菊地武雄の実兄である菊地滿雄の運転で加藤馨が乗り、車列を組んで行動を開始した。途中から、板谷暉男の運転で昭則などが乗車する、もう一台の雑用係の乗車する車が加わり、合計六台の車で連絡を取り合って一体となって行動をするようになった。そして、まず、有楽町の料亭「胡蝶」に行って食事をし、午後八時三〇分ころにそこを出て、銀座のクラブ「シャンパンクラブ」に行き、午後一〇時ころにそこを出て、歌舞伎町の韓国クラブ「リスボン」に行き、翌一二月二六日の午前零時ころにそこを出て、赤坂のキャバレー「ニューペントハウス」に行き、午前二時前後ころにそこを出て、六本本のバー「ママひげ」に行き、午前四時過ぎころそこを出て、宿泊先のホテルに向かう途中、警察の捜索に遭った。途中で、里村はスワット乗車の車から先乗り車に乗り換え、また、被告人乗車の車にホステスが一名乗ってきたことから、疋田春男が被告人乗車の車から先導車に乗り換えた。この間、被告人の一行は、遊興先の店舗に到着すると、先導車、被告人乗車の車、スワット乗車の車を並べて停車させ、被告人が降車して店舗に入るまでの間と、被告人が店舗を出て車に乗込むまでの間は、被告人の周りに組長秘書らが位置し、その外側から本件けん銃等を携帯所持するスワットらが警戒しながら、一団となって移動し、店の中では、一緒に店内に入る組長秘書らが不審な者がいないか確認するなどして警戒し、店の外では、その出入口付近で、本件けん銃等を携帯所持するスワットらが警戒して待機するなどしており、山健組の組織として一体性をもって被告人の警護をしていた。和田から今回のスワット役を頼まれた里村、東京側でスワットの役割を与えられた髙橋は実包を装填したけん銃を携帯所持して先乗り車に乗車しており、スワットである和田、木本、中村は実包を装填したけん銃を携帯所持してスワット乗車の車に乗車していた。

5 本件けん銃等の発見状況について

一二月二六日午前四時二〇分ころ、捜査員らは、被告人の一行が、車列を組んで一団となって走行し、宿泊先のホテルに向かう途中、捜索差押許可状の執行のため、〈1〉東京都港区六本本一丁目七番二四号麻布パインクレスト前路上において、被告人一行の車列を停車させて、捜索を実施し、被告人乗車の車の直ぐ後ろを走行していたスワットの和田、木本、中村らの乗車していた車両から、自動装填式けん銃二丁(平成一〇年押第一七二〇号の四、六)及び回転弾倉式けん銃一丁(同号の二)とこれらに適合する実包二一発(同号の三、五、七はうち一発を除いて鑑定試射済み)を発見した。また、〈2〉先乗り車に乗車して、宿泊先のホテルの前で待機していたスワットの里村は、自動装填式けん銃一丁(同号の八)をこれに適合する実包六発(同号の九は鑑定試射済み)を携帯所持したまま逃走して、これらを同ホテル西側の同区赤坂一丁目一四番一四号興和ビルディングナンバー三五植え込み付近に投げ捨てたが、間もなく、捜査員が右けん銃等を発見した。そして同じく、〈3〉先乗り車に乗車して、宿泊先のホテルの前で駐車して待機していたスワットの髙橋は、現行犯逮捕されるに先立ち、携帯所持していた自動装填式けん銃一丁(同号の一〇)及びこれに適合する実包六発(同号の一―は鑑定試射済み)と、けん銃実包一発(同号の一二は鑑定試射済み)の入ったセカンドバッグを栗山勝比虎に投げ、これを拾った同人が、同ホテル近くの同区虎ノ門四丁目一番二九号先の家の塀の裏側辺りに隠したが、間もなく、捜査員が右けん銃等を発見した。いずれのけん銃等も、被告人を警護するために、昭則が用意した五丁のけん銃と実包であり、スワットらが携帯所持していたものである。

6 被告人の「スワット」等についての認識について

被告人は、「スワット」、「付き人」、「ボディーガード」について、「親分を守る立場の者をスワットと呼ぶのは聞いたことがあるような気がしますが、五代目山口組になってから、そのような呼び名の部隊はなくしていると思います。昔私が初代山健組組長の付き人をしていた時は、ボディガード的な役目の者は、付き人、ボディガードと呼んでおり、今で言えば、和田が私の付き人になっています。」という趣旨のことを述べて(乙三)、和田が被告人を警護する役目の付き人であると認めており、また、やくざの在り方について、「やくざは何があっても親分に迷惑をかけてはいけないのであって、親分から一々命令されて忠実に動くのではなく、親分の気持ちを汲み、正しい判断をし、それに基づいて親分のために尽くすことがやくざの器量というものであって、やくざには器量がなければならないのです。私はこれまで大親分と呼ばれる人たちに仕えてきて現在の立場があるところをみると、器量を認められてきたのかも知れません。私は昔、初代山健組組長だった山本健一組長の付き人をしていたころ、私自身はけん銃を抱いて山健組組長の警護をしたが、それはあくまで自分の判断でそのようにしたということであり、親分から指示されてやったということではありませんでした。親分の指示とは別に自分の器量で自分が責任をとれるやり方で親分を守るものです。」という趣旨のことも述べており(乙三)、子分は親分から一々命令されて動くのではなく、親分の気持ちを汲み、親分のために尽くすべきであり、被告人が初代山健組組長の付き人をしていたころは、親分から指示されるまでもなく、けん銃を抱いて親分を警護していた旨を述べている。

二  判断

以上の事実によれば、スワットの和田、木本、中村、里村、髙橋は、被告人の警護のために本件けん銃等を携帯所持していた実行犯であり、昭則は昭一の指示を受け、被告人の警護のために、〓とともにけん銃に実包を装填して本件けん銃等を準備し、スワットらに渡したのであるから、右八名が順次共謀して本件けん銃等を携帯所持していたことを認めることができる。

また、山健組には、実包を装填したけん銃を携帯所持して組長と行動をともにして、専ら組長の警護のみに専従している、通称「スワット」、「付き人」、「ボディガード」などと呼ばれる者が数名存在しており、このスワットの人選やスワットに対する指示命令は組長ないし組長秘書、秘書見習いのみが行うが、本件時は朴がスワットの和田に他のスワットとともに上京するように指示していた。被告人もこのスワットの存在を認識しており、和田がスワットの一員であることも認識していた。そして、被告人は、朴と疋田春男とともにスワットである和田と同じ飛行機で上京して、一二月二五日の午後六時過ぎころ羽田空港に到着して出迎えを受けてから翌二六日の午前四時二〇分ころまで、長時間にわたり、先乗り車、先導車、被告人乗車の車、スワット乗車の車などの順序で被告人の一行は車列を組んで行動し、この間、都内の五箇所の遊興先に立ち寄って飲食するなどした。遊興先の店舗には先乗り車が一番乗りして警戒に当たっており、その後、後続車が到着すると、先導車、被告人乗車の車、スワット乗車の車を並べて停車させ、被告人が降車して店舗に入るまでの間と、被告人が店舗を出て車に乗込むまでの間は、被告人の周りに組長秘書らが位置し、その外側から本件けん銃等を携帯所持するスワットらが警戒しながら、一団となって移動し、店の中では、一緒に店内に入る組長秘書らが不審な者がいないか確認するなどして警戒し、店の外では、その出入口付近で、本件けん銃等を携帯所持するスワットらが警戒して待機するなどしており、山健組の組織として一体性をもって被告人の警護のための行動をして、本件犯行に及んだ。そして、被告人は、子分は親分から一々命令されて動くのではなく、親分の気持ちを汲み、親分のために尽くすべきであり、親分から指示されるまでもなく、けん銃を抱いて親分を警護するのが付き人たるべき者の行動であるとの見解を有していることが認められる。

以上を総合勘案すれば、被告人は、けん銃等を携帯所持して被告人と行動をともにし、専ら被告人の警護のみに専従している通称「スワット」と呼ばれる和田らが、被告人の警護のために上京して被告人に同道し、被告人が都内を移動する際、被告人の警護のため被告人と一体となって行動していることを認識し、また、和田らスワットの本件けん銃等の携帯所持は被告人のためになされており、被告人が一々指示しなくても和田らスワットが被告人の警護をするにつきけん銃等を携帯所持するものとの認識を有し、それを認容していたものと認めるのが相当であるから、被告人が本件けん銃等の携帯所持に関し、具体的な言葉による指示をしていないことをもって、共謀がないとはいえず、被告人についても、スワットらに指示をした朴の外、昭一、昭則、和田、木本、中村、里村、髙橋、〓らの計九名と共謀して本件けん銃等を携帯所持したものと認めることができるというべきである。弁護人の主張は失当である。

もっとも、被告人は、朴らに対し、被告人のボディガードにはけん銃を持たせてはいけない旨の指示をしていた旨、また、和田がボディガードであり同行していたことは知っていたが、本件けん銃等を携帯していることは知らなかった旨の供述をしているが、和田は護衛の具体的な方法は朴からスワットに任されており、個々の護衛の時にけん銃を使うなという指示を受けることはない旨供述し(乙四八)、山健組本部のスワットの中村(乙五六)、木本(乙六一)、畠山組組長の昭則(乙二九)をはじめ山健組関係者は、山健組では麻薬、覚せい剤、内輪もめなどは禁止されているが、組員がけん銃を所持することが禁止されているとは聞いたことはないという趣旨のことを供述し、また、山健組兼昭会組員である金孟珍(甲一〇九)や関係者の高村仁志(甲一一六)などは、「やくざの世界では、いちいち『けん銃を用意して親分を護れ。』などという指示が出されることはありません。やくざの世界では、子分が親分を護ることは当然のことで、指示がなくても子分はやりますし、親分はそれが分かっていますので、いちいち指示はしないのです。」とも述べており、そして、組長の専属ボディガードであるスワットはけん銃等を所持して親分を警護してこそスワットなのであり、本件時もスワットの和田がわざわざ被告人とともに上京してきている上、被告人自身も初代山健組組長の付き人をしているとき、自分の判断で、自分の器量でけん銃を所持して親分の警護をしていた旨供述していることなどにかんがみれば、被告人が専属ボディガードにけん銃を持たせてはいけない旨の指示をしていた旨の供述は、信用しがたく、また、スワットの和田が親分である被告人を警護するために本件けん銃等を携帯していることは知らなかった旨の供述も信用しがたいというべきである。

第二  けん銃に適合する実包について

弁護人は、鑑定書によれば、本件けん銃のうち、二丁のけん銃にそれぞれ装填されていた実包のうち七発が、当該けん銃では発射できなかったが、別のけん銃に装填して発射できたというのであるから、これら七発の不発弾が「実包」に該当することは争わないが、これら七発の不発弾に関しては、加重処罰の対象となる「当該けん銃に適合する実包」とはいえない旨主張するので、検討する。

大町茂作成の鑑定書(甲三八、四六)、電話聴取書(甲一四八)などの関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

弁護人のいうけん銃二丁(平成一〇年押第一七二〇号の四、六)は、いずれも口径九ミリメートルのトカレフ型自動装填式の真正けん銃であり、右各けん銃にいずれも口径九ミリメートルの正規のルガー型自動装填式けん銃用実包八発ずつ(同号の五、七は鑑定試射済み)が装填された状態で、右各けん銃及び右各実包が、判示〈1〉の東京都港区六本木一丁目七番二四号麻布パインクンスト前路上に停車中の普通乗用自動車内において、携帯所持されていた。試射実験をすると、うち一丁のけん銃(同号の四)について、装填されていた実包八発(同号の五)のうち三発が当該トカレフ型けん銃では不発であり、他の一丁(同号の六)について、装填されていた実包八発(同号の七)のうち四発が当該トカレフ型けん銃で不発であった。そこで、これら不発の計七発の実包を口径九ミリメートルのルガー型自動装填式けん銃に装填して、試射実験をすると、全て発射された。真正けん銃の場合、その口径に合う正規の実包であれば、発射可能であるように作られており、本件の不発の原因については、装填したときの実包の位置が微妙にずれていて、打撃位置が不良となった可能性が強い。

右事実によれば、本件は、鑑定による試射の際に、たまたま打撃位置の不良等により、当該真正けん銃に装填された正規の実包の試射が不発に終わった場合であるが、真正けん銃にその口径に合う正規の実包が装填された状態にあれば、当該けん銃で実包が発射可能な状態にあることの危険性は存在するのであり、後の鑑定による試射の際に当該けん銃では装填されていた実包が発射できずに終わったということをもって、危険性がなかったことになるものではないというべきであるから、本件真正けん銃に装填された本件不発の七発の正規の実包も、加重処罰の対象となる「当該けん銃に適合する実包」であると認めるのが相当である。弁護人の主張は失当である。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、非適合実包の所持の点をも含めて包括して刑法六〇条、銃砲刀剣類所持等取締法三一条の三第二項、一項、三条一項に該当するので、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役七年に処し、刑法二一条を適用して未決勾留日数中五〇〇日を右刑に算入することとする。

(量刑の事情)

本件は、指定暴力団山口組の若頭補佐であり、また、同組内の有力二次団体である山健組の組長である被告人が、上京して都内で行動するに際し、自己の身辺警護のため、組長秘書見習いの朴ら山健組傘下の組員らと共謀して、組員らにおいて、けん銃五丁とこれらに適合する実包等合計三四発を携帯所持したという銃砲刀剣類所持等取締法違反の事案である。

本件は、山健組が組織ぐるみで行った犯罪であり、携帯所持していたけん銃と適合実包は量が多く、そして、それらけん銃等を携帯所持した状態で、長時間にわたり、車列を組んで公道を走行し、また、五か所の店で遊興するなどして、都内を移動していたことなどにかんがみると、山健組においては、スワットらが被告人の警護のためにけん銃等を携帯所持するのは当然であるかのような風潮がうかがわれるのであり、また、暴力団抗争におけるけん銃発砲において、一般市民が巻き添えになり、その生命を落とし、身体を負傷する事件が多発しており、現に本件の約四か月前に起きた山口組若頭の宅見勝組長が射殺された際にも一般市民が巻き添えになって悲惨にも生命を落としていることは周知の事実であり、銃器犯罪の禁圧が緊急の重要課題である今日において、被告人らがけん銃と適合実包を携帯所持して行動していることは、暴力団特有の論理に基づいて、法治国家の法秩序を軽視しているものであると言っても過言ではなく、厳しく非難されなければならない。被告人らがけん銃等を携帯所持していたのは、他の暴力団等からのけん銃等による襲撃の危険性に備えてのものであるといっても、その襲撃の危険性は暴力団組織に身を置いていることに起因するものであって、自らが招いたものというべく、他を責めて自らの責任を軽くするような事情ではない。そして、本件は、遊びのために上京してきた被告人一人のために行われた犯罪であり、被告人が山健組の組織の長であり、また、殺人未遂、恐喝、銃砲刀剣類所持等取締法違反による多数の前科があることなどにかんがみれば、その刑事責任は重大であって、共犯者の中で最も重いといわなければならない。

したがって、被告人の健康状態など、被告人のために酌むべき諸事情を十分に考慮しても、主文掲記の刑に処するのを相当と判断する。

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